|
1年の浪人生活を経て、何とか龍谷大学文学部社会学科社会福祉学専攻に入学しました。高校時代は自分自身に何も残すことができなかったので、大学では絶対に何かに打ち込んで最後までやり遂げたいと考えていました。その時に出会ったのが、学友会放送局(通称RBS)です。
入部したきっかけは、マスコミ業界へ就職したいという希望があったのと、学園祭のイベントなどでアイドル歌手と共演したかったというミーハーなものでしたが、もちろん高校時代に無くした自信を取り戻すという大きな意味もありました。
RBSでの活動は厳しく辛いこともありましたが、反面とても充実していて楽しかったです。RBSはDJ番組やラジオドラマをはじめ、学園祭などのイベント制作など年がら年中活動していて、特に放送祭や龍谷祭の前になると、土日もなく毎晩夜遅くまで残って準備やリハーサルに励んでいました。アナウンサーからミキサー、プロデューサーまで多くの人間がチームを組んで一つのイベントを作り上げる、そしてそのイベントが終わった時の達成感をみんなで共有する、本当に青春していました。
私も多くの番組や大事なイベントなどに司会として起用してもらい、アイドル歌手との共演も果たしました。そのことは本当に自信になりましたし、やり切ったという満足感を得ることができました。
RBSの活動とならんで、もう一つの思い出は、創立記念降誕会実行員会での活動です。これは、龍谷大学の創立記念日である5月21日をはさんで1週間行われていた行事で、円山公園〜四条通り〜鴨川河川敷の提灯行列をはじめタレント・文化人の講演会、アイドル歌手のイベントなど建学の精神に関係のある(?)イベントを行っていました。
2回生の時にはじめてRBSから実行員会に派遣されたのですが、はじめはRBSから離れるのが嫌で嫌で仕方なったのが、一度実行委員会を経験すると、体育局や学文局、宗教局のサークル員との交流などRBSでは経験できない別の楽しさがあり、その後3、4回生と毎年、実行委員会に出ることになりました。
4回生の時は企画部長を任され、他の企画部員とともにイベント全般の企画・運営に携わり、元おニャン子クラブの生稲晃子さんを呼んでのイベントや、新日本プロレスの獣神サンダーライガー選手の講演会など、多くの学友に楽しんでもらえるイベントを行うことができたと思っています(もちろん私個人も楽しみましたが…)。
RBSや降誕会実行員会での活動によって、チームで一つのものを作り上げる楽しさや達成感、自分の制作したものを多くの人に見てもらい喜んでもらえた時の充実感を体験し、卒業後も自分の表現したものを多くの人に伝え、幸せな気分になってもらえる仕事がしたいという思いが強くなってきました。そうですマスコミ業界へ就職したいという思いです。
しかし、バブル全盛時の就職戦線売り手市場に関わらず、マスコミ業界に限って言えば超買い手市場。また、龍谷大学は関関同立などに比べマスコミ業界のOBも少なく、おまけに4回生の6月まで降誕会実行員会の活動で拘束されるなど厳しい状況が重なっていました。もちろんそんな状況なので、大学の就職課や友人・先輩などからは「マスコミ以外も受けとかんと就職浪人することになるで」と再三忠告されました。
ただ、銀行で働いている自分、百貨店で働いている自分、商社で働いている自分がまったくイメージできず、そんな気持ちで就職しても悔いが残ると考え、就職浪人覚悟の背水の陣でマスコミ業界一本に絞ることを決断しました。
それからは、あらゆる新聞・雑誌に目を通したり、マスコミ各社の過去の試験問題を調べたり、漢字やことわざ、四字熟語の勉強、時間を決めて文章を書く練習、面接対策など、できる限りの努力をしました。高校時代は努力ができずに後悔をしたので、今回はそのようなことがないようにと考えたからです。
その結果、何とか報知新聞から内定をもらい就職浪人をせずにマスコミ業界に就職することができました。NHK、毎日放送、朝日放送、関西テレビ、読売テレビ、テレビ大阪、中部日本放送、サンテレビ、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、中日新聞、報知新聞と受験し、1勝12敗1途中辞退という結果でしたが、この1勝をあげることができたのも、いい友人や先輩・後輩に恵まれ大学生活を有意義に過ごすことができたおかげだと思っています。
|