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自己紹介・報知新聞社編(平成4年4月〜15年4月)
 

「マスコミに就職したい」という思いが何とか叶って、報知新聞社に就職することができました。報知新聞社とは、明治5年創刊の「郵便報知新聞」に由来を持つ新聞社で、戦前は原敬や大隈重信、犬養毅などの首相経験者も在籍しており、権威のある新聞社でした。その後、読売新聞の関連会社となり、戦後はスポーツ新聞として生まれ変わりました。現在では「スポーツ報知」の愛称で親しまれています。

そんな報知新聞で、私が最初に配属されたのは、大阪本社の広告第二部第一課(整理課)。記事体広告のレイアウトや記事下広告の面割付けを担当する部署です。絵を描いたりするのが苦手だった(美的センスのない)私が新聞のレイアウト、しかもスポーツ新聞の派手で目立つようなレイアウトができるのか不安でしたが、足を引っ張らないようにと頑張りました。

ちょうどこの時期は、社内で新聞制作システムが大きく変わろうとしている端境期で、新システムへの対応などを含めたいへんな時だっただけに、何とか頑張れたことは自信になりました。結局この部署には6年弱在籍し、上司や先輩から社会人としての礼儀や常識はもちろん、新聞制作工程の基本や整理(レイアウト)を厳しく教えていただきました。そのことは、その後の報知新聞での仕事はもちろん、今でもたいへん役立っており、当時の上司や先輩にはたいへん感謝しています。その後、企画課や一部一課などさまざまな部署で経験を重ねるうちに、しんどさや辛さの中にも充実感や達成感を感じながら仕事をしていました。

報知新聞に勤めてからというもの、家(枚方市)と職場(大阪市)の往復の毎日で、地域のことにはあまり関心を向けている時間などありませんでした。そんな中、細川非自民政権の成立から、自社さ政権、自自公政権、自公政権と、政権は目まぐるしく変わりましたが結局は何も変わっていないという現実(官主導の政治が継続している)、さらに阪神大震災でのボランティアの活躍と、その後の国内でのNPO活動の広がりを見ているうちに、「もはや公共の仕事を行政だけに任せていてはこれからの変化の激しい時代に対応できない、市民も積極的に公共の仕事を担っていく必要があるのでは」と考えるようになりました。

当初は、自分には仕事があるし税金もしっかり払っているのだから、それだけで十分地域に貢献しているという考えもありました。しかし、地域のために仕事をして、それによって地域の人の喜ぶ顔を見ることができたら、私もどんなに幸せだろうかなどと考えるうちに、「生まれ育ったまち“枚方”のために何かできないだろうか」という気持ちが高まってきました。

そんな時、「広報ひらかた」を読んでいると、広報ひらかたの編集をする非常勤特別職員を1名募集するとの記事が目に飛び込んできました。ここなら、私が報知新聞で11年間培ってきた経験を生かして、広報ひらかたの紙面をより良くすることで、市民に貢献することができるのではと考えました。また、取材等を通じて多くの市民や行政職員と話をすることで、枚方について勉強することができ、それを自分が目指す地域貢献に生かすことができるのではと考え、迷わず応募することにしました。もちろん応募した時点で、採用が決まれば報知新聞社を退職する決意を固めました。

そして、筆記試験、面接と進み、枚方市役所への採用が決まりました。これで11年間勤めた報知新聞社を退職することになりました。

★経歴
平成4(1992)年 4月1日 株式会社報知新聞社に入社。大阪本社広告局付勤務となる。
  10月1日 大阪本社広告局広告第二部第一課勤務となる。
平成5(1993)年 1月1日 組織変更により大阪本社広告局広告第二部第一課が整理課となる。
平成10(1998)年 1月1日 大阪本社広告局広告第一部第二課勤務となる。
  5月1日 大阪本社広告局広告第一部企画課勤務となる。
平成13(2001)年 9月13日 報知新聞社労働組合大阪支部執行委員(合理化・法規対策部長)に就任。
  10月1日 大阪本社広告局広告第一部第一課勤務となる。
平成14(2002)年 9月12日 報知新聞社労働組合大阪支部執行委員(合理化・法規対策部長)に再任。
平成15(2003)年 4月10日 株式会社報知新聞社を依願退職する。
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